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2026年02月02日

眠り続けた爆弾が呼び起こす戦争の記憶(2026年01月31日放送)

01 不発弾

2026年1月5日、宮崎市の橘橋付近を流れる大淀川で、不発弾が見つかりました。
不発弾は河川の掘削工事中に発見されたもので、発見から処理完了まで12日、周辺の住民や交通機関に大きな影響が及びました。
戦後80年を迎えようとする今もなお、戦争の爪痕が私たちの暮らしのすぐそばに残っていることを示す出来事となりました。

掘削工事中に突如現れた不発弾

02 不発弾の発見場所

不発弾は大淀川の掘削工事中に、重機を使って河川内の土砂を取り除いていた作業員によって川底からすくい上げられました。
発見場所は、橘橋の中央から下流に約150メートルの地点でした。

通報を受け、現場はすぐに物々しい雰囲気に包まれました。
発見からおよそ8時間後、佐賀県の陸上自衛隊・目達原駐屯地から不発弾処理隊が到着し、確認作業が行われました。

アメリカ製250キロ爆弾と判明

調査の結果、2024年10月に宮崎空港で爆発した爆弾と同じ規模の、アメリカ製250キロ爆弾であることが判明しました。
郷土戦史研究家の稲田哲也さんは、「アメリカ軍が使用した中でも、最も一般的な爆弾の一つ」と説明します。

03 宮崎空港

稲田さんは、「宮崎空港での爆発は火薬の半分以下の爆発で、100%ではない。まともに爆発していれば、さらに甚大な被害が及ぶ可能性がある」と指摘します。
宮崎市の主要な橋の近くで発見された今回の不発弾は、市街地の安全にも大きな影響を及ぼしかねないものでした。

爆撃の標的だった橘橋

稲田さんは、不発弾が見つかった場所から、当時のアメリカ軍の爆撃目的が見えてくると話します。
宮崎県内での主な爆撃の目標は、鉄橋や駅など、交通や物資、人員の輸送を断つ場所。橘橋もその標的だったと考えられる。

04 1947年の航空写真

橘橋は戦後に架け替えられましたが、1945年7月27日には空襲を受け、一部が破壊されたという記録が残っています。
さらに終戦翌年の公文書には、橋の復旧工事に関する記述もありました。

なぜ不発弾は残ったのか

当時の爆撃は、多数の航空機が目標周辺を囲むように爆弾を投下し、そのうちの一部が命中すればよいという方法が取られていました。
そのため、狙いから外れた爆弾の中には、不発のまま地中や川底に残るものも少なくありませんでした。

05 爆弾の図

稲田さんによると、不発弾が生じる原因は、製造時の不具合などの「機械的要因」と、人の手で扱う際に起こる「作業上のミス」の大きく2つに分けられるといいます。

処理作業と住民避難

発見から2日後、不発弾の処理日時が1月17日に決定しました。
処理当日は、橘橋周辺に警戒区域が設定され、住民には避難指示が出されました。
警察による交通規制も行われ、周辺は一時、静まり返りました。

06 不発弾処理の様子 1
07 不発弾処理の様子 2
08 不発弾処理の様子 3

午前11時、自衛隊の不発弾処理隊が作業を開始。
不発弾は慎重に処理壕内へ移動され、2つの信管の取り外し作業が行われました。
作業開始からおよそ2時間後、信管の除去は無事完了。
発見から12日後、不発弾の処理は安全に終わりました。

今も残る戦争の傷跡

取り外された信管を見た稲田さんは、「ほとんど腐食しておらず、非常にきれいな状態だった」と語ります。
同時に、「まだ見つかっていない不発弾が、県内各地に眠っている可能性はある」と指摘します。

09 磁気探査の予定箇所

今回の不発弾の発見を受け、国土交通省は橘橋と大淀大橋の間で磁気探査を行い、ほかに不発弾が埋まっていないか調査を進めています。

身近な場所に残されていた戦争の爪痕。
今回の出来事は、平和の尊さと、過去の歴史に向き合うことの大切さを、改めて私たちに問いかけています。

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