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「強制就労で76人犠牲」太平洋戦争末期、槙峰鉱山で中国人労働者を襲った「想像を絶する苦難」...遺族が訴える平和への誓い
2025年12月06日

太平洋戦争末期、宮崎県の槙峰鉱山では労働力不足を補うため、多くの中国人労働者が強制就労させられ、劣悪な生活・労働環境と過酷な作業により76人が犠牲となった。この悲惨な歴史を風化させず未来に伝えるため、日之影町では毎年慰霊祭が行われている。中国人労働者の家族も参加し、想像を絶する苦難を強いられた人々を追悼。参加者たちは、その過酷な実態を振り返りつつ、二度と悲劇を繰り返さないよう平和への切なる願いを表明し、過去を忘れず将来の戒めとすることを誓った。
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「悲惨な歴史二度と繰り返すな」槙峰鉱山中国人犠牲者慰霊祭
宮崎県延岡市北方町と日之影町にあった槙峰鉱山では、労働力不足を補うため多くの中国人労働者が強制的に就労させられ、76人もの尊い命が犠牲となった。

この過酷な歴史を風化させず未来に伝えるため、日之影町で慰霊祭が開催された。

今年は中国人労働者の家族と日之影町の関係者など約70人が参列。想像を絶する苦難を強いられた亡き人々を追悼するとともに、二度と悲劇を繰り返さないよう平和への切なる願いを表明した。

中国人労働者の家族 ツイ・シミンさん:
どれほど劣悪な生活と労働環境に置かれ、どれほどの暴力的な使役があって、これほど高い死亡率となったのか、今でも想像を絶します。
槙峰鉱山での過酷な労働

日之影町史などによれば、太平洋戦争末期の労働力不足を受け、槙峰鉱山では多くの中国人労働者が強制的に就労させられた。

山東省出身の中国人労働者250人のうち、9人が入国までに死亡し、241人が終戦の年の2月に槙峰鉱山に到着した。彼らはそこから10カ月間、銅を含む鉱石の運搬作業などに従事した。

戦後、槙峰鉱山で勤務した松田富貴雄さん(84)は過酷な労働を振り返り「鉱石は抱えるのがやっとの重さで、非常に重かった。坑内での仕事は過酷な作業であった」と証言する。

食糧が不足する中で、8世帯分の住宅に241人もの人々が押し込まれ、病気になる者が後を絶たなかったとされる。戦後、国や企業を相手に裁判を起こした元労働者などを支援した団体が生存者に聞き取った証言からは、当時の悲惨な状況が浮かび上がる。

元労働者アンバオツゥイ氏の証言によれば、「坑内で鉱石を運搬中に落石で右肘を骨折したが、治療は一切受けられなかった」という。

また、元労働者のウェイグゥワンロン氏は「竪坑に落ちて死亡する事故も目撃した。生きて故郷に帰ることはできないと絶望していた」と証言している。
10カ月間の労働と移動中に犠牲となった人々は、合わせて76人にのぼる。
遺族が訴える平和への願い
曽祖父が槙峰鉱山で働いていたというツイ・シミン氏は、曽祖父のことは「ある日誰かに捕まり、行方不明になった」と聞いていたという。

ツイ・シミン氏:
とてもつらいことだと思います。このような悲惨な歴史は二度と繰り返さないようお願いします。

中国人殉難者慰霊祭奉賛会の柳田泰宏会長は「戦争では日本や中国に限らず、多くの国でたくさんの人が苦労した。一般市民が最も苦労するため、平和が一番である」との認識を示した。

慰霊祭に参加した中国人の男性は「苦しみ、歴史を忘れていないことを曽祖父やその仲間に伝えたい」と話した。

過去を忘れずに、将来の戒めとする。慰霊祭に参加した人々は、この思いを深くかみしめた。











