番組表
戦後80年 戦争の悲惨さを伝え平和の尊さを次世代へ
2025年08月13日 18時20分
終戦から80年、戦争体験者が少なくなる中、その声を聞き取り平和の尊さを伝えようと、宮崎県の日南・串間地区で活動するグループがいます。
(紙芝居)
「遠く油津の方角からバリバリバリと機銃掃射の音が聞こえてきました」
「そしてドドドーンという爆弾の音が何発も聞こえ地響きとして伝わってきました」
夏休みの児童クラブで空襲の体験談を紙芝居で語り継いでいるのは、教職員を退職した人たちが中心になり日南市と串間市で活動する「平和をつなぐ会」です。
(平和をつなぐ会 中武和子さん 66歳)
「これからのこども達へ平和の種まきをするという事を目的にいろいろと活動をしています」
「平和をつなぐ会」では、学校や集会などに出向き県南地区にある戦争遺跡の説明や戦争体験談を紙芝居などにして平和学習を行っています。
(平和学習を受けた子ども)
「日南も戦争があったんだなって思いました。戦争がない世界になって欲しいです」
平和をつなぐ会では子どもたちだけでなく、若い社会人にも戦争の悲惨さや平和の大切さを伝えます。
油津港には人間魚雷回天の基地があったと言われています。
人間魚雷回天とは乗ったまま敵の船目掛けて突進し船を沈めるという潜水艇でした。
(社会人 20代)
「戦争を経験されている方が少なくなってきている」
「今後もいなくなってしまうという部分で私たちが戦争をしてはいけないっていう気持ちを大事にしないといけないなと思いました」
(社会人 20代)
「平和について自分ももっと深く知りたいし今後語り継いでいけたらなと思いました」
戦争を経験した人たちが減りゆく今、少しでも多く戦争体験者の生の声を記録し伝えていくために、高齢者が集う場所で聞き取りも行っています。
(体験談)
「防空壕に入って飛行機(戦闘機)のすぐ上を通る影が防空壕の中に映るんです」
「それが怖くて妹が泣き出して他の人が 泣かせないで 泣き声が戦闘機に聞こえると言われて もうほんと怖かった事を忘れません」
「私は鵜戸地区の富土という所にいたんですが(当時4歳)、伊比井地区から私の家の隣にお嫁に来た人のお母さんが爆撃されて機銃掃射で亡くなられたという話があります」
「今の山形屋(油津)の前辺りに住んでいたんです。疎開する時にはリヤカーにお米とかカボチャ里芋そんなのを乗せて兄弟6人と夕日を見ながらリヤカーを押して行ったんです。その時の夕日というのがものすごくきれいで、赤くて、今朝も見たんですけど、この朝日が疎開する時の夕日に匹敵するのかなあと思いながら考えて朝日を拝みました。今朝 平和になったらほんとによかったなあって思って、ずっと続くような平和だったらいいなと思います」
(中武和子さん)
「たくさんのお話を伺って、それを収集して、記録をして、そして次の世代につなげていく、それが私たちにとっての役目だと思っています」
平和をつなぐ会では、こどもたちを再び戦場には送らせないという信念のもと活動を続けます。
(平和をつなぐ会 黒木教一代表 72歳)
「体験を覚えている年代の方々がまだいらっしゃいますから、その方々の声をいかに生で聞いていくか、それをどうつないでいくか、これからの私たちの大きな課題だと思います」
(平和をつなぐ会 中武和子さん)
「世界で今とても心配な状況が起こっています」
「これをどうにかできるというのはもう私たちの世代ではなく、次の世代の人たちだと思っています。平和の大事さというのをいろんなところで伝えながら、新しい世の中を担っていく人たちが平和の大切さというのをみんなで伝えあいながら平和を守っていくということを動いてくれればなと思っているところです」
「平和をつなぐ会」は「平和を語り継ぐ会」として活動していましたが、平和を広げるという願いを込めて今年度から名称を変えました。
多くの世代に平和の尊さが広がり争いの無い世界が来るまで平和をつなぎ続けます。