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2025年05月12日 18時50分

戦後80年 空襲で犠牲になった児童たちをしのぶ 宮崎大学附属小学校で「いとし子 命の集い」

今年は終戦から80年です。

太平洋戦争末期、宮崎市でアメリカ軍の空爆により国民学校の児童16人が命を落としました。
12日、亡くなった子供たちを供養し平和を願う集いが、宮崎大学附属小学校で開かれました。

いとし子の供養碑。
昭和20年5月11日にアメリカ軍のB29の爆撃で犠牲となった子供たちを供養する石碑です。
長い間住宅地の道路沿いにひっそりと置かれていましたが、遺族の願いを受け、20年前に子供たちの母校である宮崎大学附属小の正門近くに移設され、在校生に戦争の悲惨さと平和の尊さを語りかけています。

宮崎大学附属小では、毎年子供たちの命日に合わせ「いとし子命の集い」を開いていて、12日、全校児童約600人が参加しました。

集いでは、空襲で当時9歳と7歳だった2人の姉を亡くした山本行一さんが、平和への思いを語りました。

(山本行一さん)
「5月11日の悲劇を繰り返さないために、いつまでも語り継いでいきたい」

(山本行一さん)
「下の姉なんて1年生ですから1カ月ですよ、学園生活が。どれだけ無念だったかと思います。それでもなくならないんだよね。人間の愚かさを感じますよ」

このあと教職員が作詞作曲した、いとし子に捧げる歌「黄色い花が咲く頃は」を斉唱しました。

「たくさんの夢や大きな希望も叶わなかった人がいる」

(参加した児童)
「やり残したことや未練があったりするんじゃないかなと思って、とても悲しくて胸が苦しくなりました」

(参加した児童)
「100年生きるとしたら(自分は)まだ10分の1くらいしか生きてないので、その状態で命を落とすのはとてもかわいそう」

(参加した児童)
「私たちに頑張ってねって言ってくれたような感じがして、精いっぱい生きようと思いました」

児童たちは、犠牲となった児童たちの冥福を祈りながら、命の大切さや平和の尊さを感じ取っていました。

5月12日(月)

5月9日(金)

5月8日(木)

5月7日(水)

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