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2018年09月24日

旅する歌劇団 日本少女歌劇座を追う(2018年9月22放送)

皆さんは、宮崎にかつて少女歌劇団があったということを知っていますか?
その名も「日本少女歌劇座」。
宮崎に拠点を置いて約60年前まで全国各地で公演し人気を博したという日本少女歌劇座。
しかしなぜ宮崎に拠点を置いていたのか、どんなメンバーが所属していのか、多くの謎に包まれています。
今回の特集は、そんな一座にスポットを当て歴史を紐解こうとしている一人の男性を取材しました。

日本少女歌劇座

 

京都府宇治市 京都文教大学。
こちらの大学に勤務する鵜飼正樹教授は、その歌劇団の実態に迫ろうとしていました。
鵜飼正樹教授は古い絵ハガキを見ながら「京都市内で古本市が11月にあるんですが、そこに行った時にこの少女歌劇団の絵ハガキを見たのがきっかけなんです。宝塚少女歌劇団の絵ハガキは古本市でよく見ていたが、これを見た時に明らかに宝塚とは感じが違って、宝塚ほどオシャレじゃない絵ハガキで気になったので買った。謎が多いし、誰も調べていない。」と話します。
その後調べてみると日本少女歌劇座は大正11年頃大阪で温泉の余興として始まり、奈良県を経て昭和10年頃宮崎市に拠点を移した歌劇団だということがわかりました。

鵜飼正樹教授

 

当時のパンフレットを見てみると少女歌劇団の団員は30名ほどで、その他に楽団・大道具・照明など全体で50~60人で全国を移動していたのではないかと話します。
地方巡業に徹し、公演は九州から北海道まで全国をくまなく回っています。さらに昭和の初めからは台湾や満州、朝鮮など海外にも出向きステージを披露していたようです。

当時のパンフレット

初期の頃の演目は「支那歌劇 舞姫李花」という中国を舞台とした歌劇が代表的でした。
バレエダンスや和もの、野球をテーマにした内容など幅広い内容で活動していたそうです。
日本全国に断片的な資料が少しずつあるという状況で、少しずつ集めて謎を解いていくというジグソーパズルのような面白さを鵜飼教授は感じています。

断片的な資料

 

初期に本社があった奈良県大和郡山市
そこには市民から寄贈された資料の中に歌劇団の大量の資料が残されていました。
その写真から、その時代に合わせたプログラムを上演していたことがわかります。

奈良県大和郡山市:大量の資料

 

特定の劇場を持たなかった日本少女歌劇座。
孔雀劇場」を手に入れたことが宮崎に拠点を移すきっかけとなりました。
「35年間ぐらいは活動していたという意味で、スターが3代か4代ぐらいは入れ替わって続いていたというあたりが面白い。」と鵜飼教授は話します。

当時の舞台写真

 

温泉の余興に過ぎなかった少女歌劇団を国内のみならず国外にまで進出させた人物がいます。
それが座長の島幹雄。日本少女歌劇座を作った人です。
島幹雄について「小柄な体格でヤクザを追い返していたということも謎だし、毎年満州や朝鮮で公演していたということは政治家との繋がりもあったのではないか、何らかのバックがあったのではないかなど謎が多い。当時はインターネットやテレビがないので新聞や郵便を最大限に利用しながら、しかも鉄道を使って全国を計画的に回ったというのは相当な才覚がないとできないと思う。」と鵜飼教授は話します。

公演の写真

島幹雄さんの周辺の方に話を聞いたところ、満州や朝鮮などは諜報活動を兼ねて回っていたのではないかとのことでした。庶民の人たちに出会い情報を得て、ある種日本の思想を洗脳をさせるような役割も担っていたのではないかと鵜飼教授は考えています。

 

この日鵜飼教授はある人物を尋ねました。
島幹雄さんの孫、冨永伸二さんです。親族の立場で協力をしています。
冨永伸二さんが倉庫から見つけた遺品の中から日本少女歌劇団の登録商標のコピーなどの資料が出てきました。集まった資料の展示会を来年宮崎で行う計画のある鵜飼教授は島幹雄に関するものも展示したいと考えています。

冨永伸二さん

取材をしていると、当時孔雀劇場があった周辺で当時歌劇座のファンだったという人に偶然出会いました。
日本少女歌劇座のテーマソングを聞いたことがあるそうです。
「1回の興行に5回ぐらい行った。楽しかったよ。」と笑顔で話してくれました。

 

さらに鵜飼教授に有力な情報が入りました。
元座員の女性がまだ宮崎に暮らしているということがわかったのです。
石永美代子さん 87歳。
15~25歳の10年間、歌劇座のスター若柳喜代子として舞台に上がりました。
終戦後15歳の時に劇団に入ったという石永さんは「お客さんの声援が喜びだった。どこの会場も立ち見が出るほどの黒山の人だかりで、花のような踊りを目にしたことが無いからものすごく喜んでくれてまた来てくださいと言われた。」と当時を懐かしそうに振り返ります。
そんな石永さんの話を聞き「長年想い続けた恋人に会っているような気持ち。大げさだけどそれぐらいな気持ち。」と鵜飼教授は話します。

石永美代子さん

 

その他にも宮崎県立図書館のデータベースで古い新聞記事を丹念に調べます。
歌劇座の情報をもう少し集めて本にしたいと鵜飼教授は考えています。情報が寄せられ、完成度の高ものを目指しています。

舞踊の師範でもある石永さんは当時のファンと今でも交流を続けています。
当時のファンだった末吉ヨシコさんは「憧ればっかりで色んな事を考えることは無かった。見られればうれしいという感じ。」と当時のきらきらした気持ちを話します。
若柳喜代子という名前をもらって、本当によかった。長生きしてよかったと思っている。」と吉永さんも話します。

大正から昭和に時代を華やかに駆け抜けた旅する歌劇団。日本少女歌劇座。
少女たちの旅は永遠に続いていました。

「当時地方の人は宝塚など自由には見に行けなかった。そんな時、全国を回ってモダンな文化を30年にわたって伝えていた団体が宮崎にあった事を誇りにしてほしい。」そう鵜飼教授は話します。

末吉さん:石永美代子さん

 

宮崎から全国に笑顔と感動を与えていた旅する歌劇団。
日本少女歌劇座の謎を紐解くことで、宮崎の新たな文化史の一幕となったのではないでしょうか。鵜飼教授が計画する展示会で当時のどんな世界を覗くことができるのか、本当に楽しみです。

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