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特集
終戦の日特集 「平和へのメッセージ」
2009年08月15日
終戦から64年目の夏、「戦争を語り継ぐ・3世代交流の集い」が宮崎市で開かれました。
この集いを主宰しているのは、宮崎大学の元学長池田一さん(82)。
池田さんは、64年前の原爆投下の日、学徒動員で、広島の軍需工場にいました。
宮崎市に住む鬼塚勇作さん(85)は、19歳の時、ガダルカナルの撤退作戦で戦地へ赴きました。
南方の最前線で、鬼塚さんが見た戦場は、まさに「生き地獄」でした。
戦争体験を次の世代へつなごうとする「語り部」たち。
「戦争の話をするのは、おそらくこれが最後です」と、声を絞る姿もありました。
今年2月、宮崎空港の近くで、戦時中、アメリカ軍が落とした不発弾が見つかりました。
こうした爆弾は、アメリカ軍が、特攻基地となった赤江飛行場を壊滅させるため、投下したものです。
赤江飛行場は、旧日本海軍の戦闘機訓練の航空基地として建設されましたが、戦況の悪化で、特攻基地に変わっていました。
当時、海軍基地に勤務していた安田郁子さん(84)は、多くの特攻隊員を飛行場で見送りました。
わずか2カ月の飛行訓練をうけ、若者達は、沖縄方面に飛び立ち、387人が帰らぬ人となりました。
戦争が終わった赤江飛行場。戦闘機の残骸がちらばり、焼け野原が広がっています。
この荒れ果てた光景が、私達が忘れてはならない、戦後64年の「平和へのメッセージ」です。
この集いを主宰しているのは、宮崎大学の元学長池田一さん(82)。
池田さんは、64年前の原爆投下の日、学徒動員で、広島の軍需工場にいました。
宮崎市に住む鬼塚勇作さん(85)は、19歳の時、ガダルカナルの撤退作戦で戦地へ赴きました。
南方の最前線で、鬼塚さんが見た戦場は、まさに「生き地獄」でした。
戦争体験を次の世代へつなごうとする「語り部」たち。
「戦争の話をするのは、おそらくこれが最後です」と、声を絞る姿もありました。
今年2月、宮崎空港の近くで、戦時中、アメリカ軍が落とした不発弾が見つかりました。
こうした爆弾は、アメリカ軍が、特攻基地となった赤江飛行場を壊滅させるため、投下したものです。
赤江飛行場は、旧日本海軍の戦闘機訓練の航空基地として建設されましたが、戦況の悪化で、特攻基地に変わっていました。
当時、海軍基地に勤務していた安田郁子さん(84)は、多くの特攻隊員を飛行場で見送りました。
わずか2カ月の飛行訓練をうけ、若者達は、沖縄方面に飛び立ち、387人が帰らぬ人となりました。
戦争が終わった赤江飛行場。戦闘機の残骸がちらばり、焼け野原が広がっています。
この荒れ果てた光景が、私達が忘れてはならない、戦後64年の「平和へのメッセージ」です。



